ふと思ったのですが、どうして人は人の体毛を厭悪するのだろうか。
それは言い過ぎにしても、大概の人は、エチケットとの結びつきなどもあるとはいえ頭髪以外の毛に対して良くない印象を抱く。
腋毛しかり陰毛しかりひげしかりすね毛しかりケツ毛しかり乳毛しかりギャランドゥしかり胸毛しかり。
いや、ひとくくりにはしたけれど後ろ2つに関しては(まあ程度問題ですけど)男性のセクシーさの象徴として合った方が良いという人もいるだろう。
とはいえ胸毛がセクシーさに繋がっている(と個人的には思う)のがヒュー・ジャックマンとかヘンリー・カヴィルなどのパンプアップ(違う)した白人男性という極めて限定的な人物に対してのみなあたり、やはりそのハードルは高いというか、後述するような男根主義やマチズモ的な価値観と密接に結びついているように思える。
ひげについてもその毛質やたくわえ方にも大きく左右されるだろうけど、やっぱりそのあたりは男性性に結びついていそう。
創作の世界、とりわけ映像メディアにおいては悪役側に髭を付けさせるというのはよくある話で(そういえばミッション・インポッシブルではまさに悪役として出演したヘンリーが髭を生やしていてそのことが別の映画で色々と問題を生じさせていたっけ)、つまり髭は悪の印象を与える効果を持っているということになる。
だとすると、とかく印象が大事になるビジネスマンにとって髭を剃るというのは善人に見られるためであるとはいえる。
髭には男らしさを示す側面が確実にあると思うけど、ひげが忌避されるのはむしろこのようなエチケット的な部分が強いのかも。
胸毛・ギャランドゥや髭以外でも、体毛が肯定的に捉えられることはままある。といっても、私の知る限るその受け皿というのは性癖なんだけど。
腋毛に関しては「むしろあった方がいい」という声を上げる輩が男女ともに一定数いる。たしか腋毛を売りにしているグラドルとかAV女優がいたのも記憶していますから、すくなくとも採算がとれると見込まれるだけの市場価値が腋毛にはあるということでしょう。
ケツ毛や乳毛というのも、割とフェチと結びつきやすそうな位置に生えている毛だけに肯定的に捉えられそうな気もするのですが、ケツ毛バーガー事件(知らないという人は調べなくていいです。これはむしろ積極的に風化させるべき事件なので)などを考えるとやはりナシなのだろうか。
そう考えると、すね毛に関してだけはよく嫌悪感を示すワードが費やされる反面すね毛フェティシズムを持っているという人を見かけないあたり、一番アウトなのはすね毛だったりしそうです。
陰毛に関しては、基本的にそれを目にする機会というのがすでに互いに一定以上の信頼関係が構築された(恋人であれ夫婦であれベッドフレンドであれ)うえで目撃するものであるという前提があるので、そもそもそこまで信頼を寄せている相手の陰毛なら問題ないのかもしれません。
それにわかめ酒の例を考えると、日本には昔から陰毛を嗜む文化はあったわけだ。
一方で、滅茶苦茶好きな相手だったけどいざそういう場面になってあそこの毛の処理がされていなくて一気に萎えたという話も聞きますから、やはり嫌悪の対象となりうる体毛として見られているのも確か。
少し前の調査だとアメリカの20~30代女性では9割以上(日本は6割)が陰毛の手入れをして、6割がパイパンにする(日本では1割)のだという。
向こうの文化が日本に流入してきているというのはあるにせよ、やっぱり陰毛は処理すべきものと見られていると考えていいっぽい。少なくとも腋毛と同じように、フェチとして肯定されるよりもエチケットとして処理されるべきという考え方が一般的なのだろう。
まあ、下着や水着からはみ出るとか、くんにとか、衛生上とか、腋毛以上に考慮する点が多いのも事実でしょうけど。
ただ、女性の毛の処理というのはおそらく「女性らしさ」という厄介なしがらみによるところも大きいでしょう。実際、男性は腋毛を生やしていても公然としていられるけれど、女性に腋毛が生えていたら身だしなみがどうこうと冷ややかな目で見られるか、そういうフェチ系のお仕事をされているのだろうと思われるでしょうし。
あとは資本主義的な繋がりもあるだろうけど、この辺について根拠なしに深堀りしていくのは躊躇われるので切り上げるとして、では体毛がほぼ全会一致で肯定されるシーンがある。
動物である。
そう、動物の場合は人間と違ってその体毛についてあれこれ言われることがない。
何故だろう。
動物の場合(ここでは哺乳類、よしんば鳥類を想定するとして)、毛がもふもふしているとか、そもそも「人間じゃないから」とか色々と理由を着けられると思う。
ただ無理やり一つに集約させるのであれば、その自然さ、つまり機能美にあるのではないか。
動物にとって毛は重要だ。その体毛のほぼすべてに生存のための意味がある(はず。よく知らないけど)。
その人間にはない=人間ではない者が持ちうる機能美が、人間の体毛に向けられる嫌悪とは異なるところなのではないか。
実際、ムダ毛処理という言葉が使われるくらい、人間の体毛には無駄な毛があるわけでして。いや、生存に関わらないから無駄というよりは美意識的に邪魔だから無駄と称されているのでしょうが、しかし現に人間の体毛のほとんどが本来的に持ち合わせていた能力を喪失してしまっている。
つまり、進化の過程で不要になった過去の残滓、糞の役にも立たないアタッチメントをいつまでもぶらさげていることからくる醜悪さなのではなかろうか。
衝撃を和らげる機能を持ちえない、ただ漫然と生えている「だけ」の全身の毛を誰が愛せるというのか。
その意味で言えば、上記したような肯定的に捉えられることのある毛の類は、まだ機能を持っていたりするわけで。
などと、どうでもいいことにまさか1時間も費やしてしまうとは。