dadalizerの雑ソウ記

思ったことや感じたことを書き下し自分の中で消化するブログ

今更過ぎる振り返り

そんなわけで、半ばドキュメンタリーの感想を書くブログになってきていることを危惧しつつ、別にそうなっても問題がないという体のブログであるような気がしてくる。

Eテレの「亜由未が教えてくれたこと」の再放送を観ていて、まあ番組の構成とか話そのものに思うところがあって書き残しておこうと思った次第です。

あらすじとか内容については一々振り返ることはしないし、知りたい人用にリンクを貼っておく。

「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー 第1回「障害者の家族は不幸」という言葉 | 福祉の潮流 | ハートネットTVブログ:NHK

 

この番組の冒頭では「相模原障害者施設殺傷事件」に触れられ、この番組のディレクターの妹である亜由未という肢体不自由(右手と首しか動かない)と知的障害のある心身障害者の介護を題材にしたものなのですが、まあなんというか事件のことにはもうちょっと最後に触れておくべきだったのではないかと思ったりする。

というのも、社会的にもインパクトの大きいデリケートな問題を坂川一家の問題にしてしまっているからだ。

ほとんどが彼らの家のような感覚なのだろうが、中にはもっと疲弊し絶望している人もいるはずで、「京都認知症母殺害心中未遂事件」のような結末を迎える可能性だって少なくないはずなのだから。あれの事件の、あまりに悲しい顛末が報道されたのも去年でしたか。

我が家にもアルツハイマー認知症の血縁者がいるわけだが、わたしが取っている対応としては基本的にどっちつかずというかヘルパーさんに完全に任せているので、たまに夜に叫んだりしたりすることを除けばそこまで気になったりはしない(というと嘘になるけれど)。この方法はもちろん坂川一家のような団欒で悩みを抱える真正面から相手をしないことで「京都~」の事件のようになる危険性を徹底的に排除しているわけだけれど、それ以上の進展が望めるわけでもない。

とまあ、そんなことは実は今回書きたい事ではない。そんなものは、それぞれの家庭で異なってくるわけだし、番組中で坂川智恵氏が言っていたことが自分の考えとほとんど一緒だし。

どちらかというと、この番組のきっかけとなる「相模原~」事件のほうのことを考えたい。というか、事件発生したあたりでさんざ語り尽くされたとは思うのだけれど、自分の中で言葉にしておく必要はあるだろうし、それだけの価値のある問題だ。

とはいえ、これから書く事はわざわざ書くほどのことでもない、誰もがわかっているごくごく一般的な倫理と正義の話でしかない。

 

事件のウィキを一通り読んでみたけれど、彼は正義感の強い男だった。おそらくは学生時代に学友を殴って転校したというのも、何かしら自分の正義に反することがあったからだろう。

さて、この短文の中で出てくる「正義感」というものが非常に厄介であり、正義とは名ばかりにその実はエゴイズムであり置き換えたところで何一つ違和感はない。

そして、この正義というやつは施設側が言ったとおり「ナチス・ドイツの考え方」と同じだ。つまり、世界をよりよくしようと当人たちが本気で思っているという点で、そして誰かを排斥することで・弱者をまびくことでより良くなると信じていた点で共通する。

人の尺度なんてものは人によって異なるわけで、幸せかどうかということだって結局はその人次第であるわけで。

人の幸せを自分の尺度で図ることをなんというか。それはレイシズムという。

だが、よく考えてみて欲しい。事件に関してはあきらかに度が過ぎていたとはいえ、我々の中にそのような思考プロセスがないと言い切れるだろうか。小さな親切大きなお世話という言葉は、つまりそういうことではないのだろうか。

こんな考え方ばかりをしていると、どんどん自分の首を絞めることになるわけだけれど、だからといって自分の醜悪な内面から目をそらすには、この事件は磁力が大きすぎるのだ。

人為による事件とは、つまり我々の社会の表裏であり合わせ鏡の構造であるということを夢々忘れてはならないのだと、事件から一年以上が経過した今になって思うのだった。