dadalizerの雑ソウ記

思ったことや感じたことを書き下し自分の中で消化するブログ

勝手に共感

面白そうな記事見つけたので読んでみた。

自分の言いたいことを両名がまんま言っていて笑ってしまったのですが、ほかの読者的にはどうなんだろうこれ。特に2ページ目。

AIの遺電子は1巻だけさらっと読んだけどそこまでハマらなかったんだよなー。なんかこうテレビ版のサザエさんを漫画として読まされているような気がして。原作のサザエさんはテレビみたいな感じじゃなくてもっと激物だった記憶がある。

こういうのをテレビでながら見するぶんにはいいんだけど(受動だから)、漫画となると能動的に読み進めないといけないから煉獄感があるというか、そういう感じであまり気力が湧いてこないというか。絵柄も結構無機質だし。

ただまあ、押井守が好きだというのはなんとなくわかる。何もしなくていいからっつってフォールアウトを延々とやり続ける人だし。

いや、そこまで押井守に関しては追っかけているわけではないし伊藤の中に出てくる余剰みたいなもので流れの中で少し知った程度ではあるんだけど、その伊藤フィルターを通して見た押井守は好きそうだなというのはわかるという話で。なんか言い訳がましいこと書いてますが、言い訳ですからねこれ。

 どうでもよくないことではあるんですけど、なんかこうクリエイターってマスで世間を語るきらいがあるような気がする。そりゃまあ読ませる物であるからにはわかりやすくしなきゃいけないんだろうけど。

 

山田:僕らはAIが「聞き分けの良い優秀な人間もどき」みたいものになるんだろうって思いがちなんですが、でもそうじゃない、人間臭くない未知の知性になる可能性もあって、怖くもあるけど、そいつに出会ってみたいっていうのが個人的にはあるんです。

 

とまあ抜粋してみたけど、そもそもAIを「聞き分けの良い優秀な人間もどき」と考える人ってそんないないでしょう。そりゃアイアンマンを見て「フライデー萌え」とか思ったりするけれど、それは要するに単純に戯画化された属性を楽しんでいるわけであって、そうなるとは思っていないでしょう。

たぶん、わたしが「AIの遺電子」を読んでそこまでハマらなかったのは、自分にとってすごく当たり前のことを当たり前にフラットに描いていたからなのだろうと。もちろん、それを話としてハイクオリティの一話完結に落とし込むことは卓抜した能力ではあるのだけれど。

まあでも実際は自分や山田氏のように考えてる人は、それこそ山田氏の考えているように少数で、実際のところはAIがどうのこうのなんていうことを考えている人は話のつまにしてはいても真面目に論考する人はいないんだろうなーとは思う。

だって、大多数の人は自分のように半ば無職で時間を持て余して本を読んだりNHKを見たりすることもなければ山田氏のように関心自体を職業にしているわけではなく、一日一日の仕事をして生活することだけでも大変なのに、そこに来て「人間がどうのこうの」なんて頭脳労働をしたい人はよほどのもの好きなわけで。

だからこそ、カジュアルにそれを描いた「AIの遺電子」はウケているんだろうけれど、現代のブラックジャック(だっけ?忘れたけど)みたいに呼ばれるには少し方向性が異なっているような気がするぞよ。売り文句としては一見、最適に思えるけど、ブラックジャックはむしろフラットに毒気を仕込んでくるところに妙味があるんだから、とNHK手塚治虫のドキュメンタリーを見て思った。