dadalizerの雑ソウ記

思ったことや感じたことを書き下し自分の中で消化するブログ

漂白熱

BLEACHの画集が出るということで、連載終了以来ほとんど触れる機会がなかったし、最終章の出来がアレなだけに完結してから単行本を全部売り払ったり(スペース確保のため)とほぼ決別していた(ブレソルはたまにやってたりはしたけど)はずだったのにまた熱が少し再燃してきた。

なんやかんやで直撃だったしなーと振り返る。

で、その流れで色々ググってたら成田良悟のノベライズが出てきたので買って読んだんですが、なんかアレですね。

こういう意地の悪い書き方するのもはばかられるんですけど、いかにも二次創作的なんですよね。台詞回しとかも、いかにも説明的だったりするし。よく揶揄される能力の説明は、それ自体が説明なのでまだいいのですが、説明的な台詞というのはちょっとね。展開誘導のためにそのキャラクターが口にしなさそうな台詞を言わせているような部分も散見できるのよね。京楽は多分、一護クンなんて連呼しないで「彼」とかで呼ぶだろうし、檜佐木は花太郎のこと花太郎とは呼ばないだろう(メタ的に言えば花太郎は「花太郎」と劇中およびBLEACHファンの間では呼称が定着している流れなのだろうけど)し。いや、もしかしたらそう呼んでいるのがどっかであったりするのだろうか。カラブリとか久保帯人が直接書いたものは大体網羅しているはずだけど、まあ完全把握しているわけでもないのであんま強くは言えないけど。まあ同僚を苗字で呼んでいるのに大して接点のない相対的な地位の低い花太郎を花太郎呼びするのは不自然だよね、どう考えても。

あと劇中で使ったセリフをそのまま使うというのも、凄まじい二次創作感があってなんというか痛い。京楽の口癖はまだわかるんですが、平子の「母ちゃんの子宮~」は別に口癖じゃないし、愛染に対する嫌味というかジョークみたいなものだし、それを檜佐木に対して言うのは意味不明ですよねぇ。

マユリの語尾の「ヨ」「ネ」の付け方もなんか「語尾だから」という付け方程度でしかない気ががが。

まあそういうキャラ小説としての残念な部分を除いたとしても、地の文もさ、一人称の心中部分以外で「こちら」とか使うのってどう考えてもおかしくないでしょうか。

あと絵なしで久保帯人のギャグを再現しようとするのはかなり小っ恥ずかしいので控えたほうがいいと思う・・・。

彦禰を男にも女にも見える子どもって表記のあとに地の文で少年と書いたのもよくわからない。そこ言い切っちゃっていいのか。あと十五歳前後って、連載開始時の一護とほぼ同い年だと記憶していますが、それに比べるとはかなり幼いデザインですが連携は取れているのか成田と久保は。

まあ有り余る設定を拾ってリユースするのは上手いと思いますし、決してつまらないというわけでもないし読みやすくはあるのでBLEACH好きな人は読んでいいかもね。ていうか好きな人以外はそもそも読まないんだけど。

あとまだ続きが出てないのでなんとも言えないんだけど、本当に成田ってイザヤみたいなキャラクター好きね。あれ、個人的には結構イタい気がするんだけど、BLEACHファンはどう思ってるんだろう。

 

しかしこうやって書いてみるといかに自分がBLEACHに対する思いがあったのかということを思い知る。

いや、割とダメなとこも多いしネットで指摘されるような部分もそのとおりというとこもなくもないんですが、BLEACHがけなされるとそれが正論であっても愛のないものだとイラっとくる程度には愛憎があるということらしい。

 

読書感想に書くまでもないのでこっちに書いたんですが、思いのほか長くなってしまいましたな。