愛犬が今日死んでしまった。臓器とか脳とか、色々とやばかったらしい。らしい、というのは危篤状態になってようやっと脳に腫瘍か何かがあることが分かったらしいからなのだけれど、まあここ1ヵ月ほどはずっと体調が悪くてごはんもあまり食べていなかったし、異常があるとはわかってはいた。
確か15歳くらいだったと思う。人間に換算すると80歳くらいだから、決して短命だったというわけではない。
しかし、祖父が死んだときもそうだったけれど、死体を見ると自然と涙があふれてきてしまうあの現象はなんなのだろうか。
生前と同じ場所に生前と同じように寝ているのに、ピクリとも動かない。昨日までは、それでも体にかかったはんてんが起伏を続けていたのに。
それがとてつもなくやるせないのだろう。死は不可逆なものだから、その当たり前の呼吸が、拍動が二度と見られないという事実にどうしようもなく悲しくなってくるのだ。
もう少し可愛がってやればよかったなぁとか、叱るときにもうちょっとやさしくしてやれればなぁとか、後悔するんだけれど、たぶん、そういうのを挙げだしたらキリがない。
ビビりでいたずらっ子なデブ犬で、いたらいたで手を焼かせるやつだったけど、良かった。
こういうときにブログをやっていて良かったと思うのは、死んだ直後だとどうにも気丈に振舞いたくなるんだけど、こうして文章として書き出すことでようやくまともに泣くことができたりする、思わぬ副産物があったりするからかな。
柄にもなく「悲しくてやりきれない」とか「いのちの記憶」なんかを聴いて感傷に浸ってみたりして、少し死を悼んでみたり。
もう一匹うちには犬がいるのだけれど、そちらは今日死んだ犬よりも3歳くらい年上でガリガリなので、近いうちにまた同じことを書くことになりそうではある。
しかしなんというか、祖父のときも今回も、病気とかで段々と弱っていく姿を見なければいけないというのは本当につらいものがある。その介護とかをしていたりするとなおのこと。
グリーフケアとか、まあここ一年で勉強したこともあるのだけれど、確かにこれは必要だよね。
そう考えると、「ぽっくり逝く」というのは字面的にも死に方としてもかなり残された者にとってはいいのかもしれない。
中には「昨日まであんなに元気だったのに」と思う人もいるかもしれないけれど。そりゃ事故と事件だとそう思うのかもしれないけれど、なんていうかこう、いや表現としてアレなのかもしれないけれど、一撃即死ダメージか毒状態で徐々にダメージを食らうかという違いのような気がして、後者の方はなんとなく拷問感もあるので。
まあ直列つなぎか並列つなぎか、みたいな違いなのかもしれない。
なんか話がそれたけど、そういうわけなのであった。
なんかこう、自分の中の日常風景の一部を喪失するというのは、まあ時間が経てばなれてくるのだろうけれど、まだ少しは時間がかかりそうどす。