オタクってのはマイノリティだしフリークスだしディスコミュニケーションだけれども、その「被害者意識を楽しむもの(あるいは嗜むもの)」だと思っていた。ぼくを含め、オタクや毒男に自嘲ネタが多いのは、そうしたオタクのスタイルの表れじゃないか、と。あくまでそうした生を甘受し、逆に自嘲的に楽しんでやろう、道化とはいわずとも、冗談として使ってやろう、という人々なのではないか、と(すくなくとも、ぼくはそうだ)。
しかし、某ネコ問題とかを見るに、どうやら本気で被害者意識を「発動させている」人たちがたくさんいるようだ、ということにはじめて気がついた。明らかに「嗜み」の域を越えた、彼らがよく蔑んで呼ぶ「プロ市民」と大差ないオタクの存在が。
数が増えれば、声も大きくなり、自分が世界になった気がする、というよくあるエゴの肥大化なのかしら。
以上、丸々引用。
多分、最近のクールジャパン(笑)とかアニメ的なものが全面に押し出されつつあるものに奇妙な思いがあるのは、こういうところだと思う。
自分のような玩具で未だにブンドドしている人間は特に、そう思う。
多分、トクサツガガガみたいなのが一番わかりやすいオタク的なマインドだと思うのだけれど、あれはまあ女性ゆえにという視点があるわけで、少し別の問題という気もする。
オタクと並列するのであればそれはたぶん腐女子が近いんだけど、なんとなく表立って目立つ腐女子界隈の反応を見ているとオタクと同じような状況にあるような気もするのである。
まあ、オタクって本来は隠れキリシタンのような存在であり(宮崎勉の前後でどうだったのかまでは知らないけれど)、その隠れキリシタンの精神性こそがオタク的な美徳なんじゃないかなぁ、と。
懐古なのかなぁ、これ。