エントリーのタイトル以外に特に書くことがないのですが、まあそこそこ楽しめました。
特撮のDNAとまで言うからてっきり大映作品とかあるのかと思ったんですが、当方特撮だけでしたね。まあなんとなくそんな感じはしてましたし、権利的に難しいのだとは思いますが、いまいちゴジラに比べてガメラの不遇感がね。
でもオリジナルの展示とかありましたし、やっぱり上がりますよね、ええ。
特に写真とかは撮ってないんですけど、天井にモスラとかバランとかいましたし、ミニラの着ぐるみ(オリジナルだったきがす)もあったし、特撮ファンは楽しめるでしょうな。ミニチュアもあったし。つってもボリュームには乏しいかしらね。特撮監督たちへのインタビューを除けば1時間もせずに見て回れてしまう程度でしたし。
あと、「特撮」と銘打ってるからある種仕方ないのかもしれないけれど、本多猪四郎の名前が個別で解説されてなかったのはビビった。基本的には造形師と特撮監督をフィーチャーしたものだったので、監督までもっていくと色々と大変だったのだろうけど。
しかし「ガメラ」や「大魔神」がいないのに(「進撃の巨人」も入れてほしかったんですけどね。本編は苦痛だけど巨人の造形とか好きですし)DNAとまで言ってしまっていいのだろうか・・・普通に東宝特撮のDNAとかじゃいかんかったのか。
あとまったく別の話題だけど某所でくそ社長呼ばわりされているあの人の行動について、批判が出るのもわかるのよね。
結局、あの人のやってることって根底に自己PRというかアピールというか、そういう資本主義的原則に則った行動であるし、選別主義的でもあるしね。実際、抽選といいつつ選別してたわけだし。
行動そのものは別にとがめられることじゃないんだけど。その行動の依って立つ精神性が批判されてるんでしょう?まあそれはわかる。
Twitterなんて人眼の付く場所であんなことしたらさ、ほかの難病とかで助けてほしい人・家族は「なんで私は助けてくれないの?」となるわけでさ、そういう「援助を求めている側」の心理をちゃんと理解したうえでああいう人助けしてるんですかね?してるわけないか。
もしそういう人たちが恥も外聞も捨てて全員が全員彼に援助を求めたとして、その人たちを全員救うっていうならわかるんだけどさ。
いや、そもそもそういうことを恥ずかしげもなくあの社長にぶつけられる「生きる」ことに貪欲になれるような価値観を形成させないような国ではあるので、まずありえないことだろうけれど。
以前もこのブログで「助ける」という行為の善性について書いたけれど、やっぱり「誰が」「どうやって「誰を」、という部分を抜きにして考えることはできないなぁ、と今回の件で改めて感じましたよ。
あとどこかで倒れてるおばあちゃんがいるかもしれないから、目の前のおばあちゃんだけを助けたらダメなのか?ってこと言ってたけど、問題はそこじゃなくて、その「どこかで倒れてるおばあちゃん」が見ている目の前で別のおばあちゃんを助けているということが問題になりうるってことなんだよね。
たぶん、Twitterで呼びかけずにひっそりとやれって言っている人が言いたいのはそういうことだと思う。でも社長はそういうことしないでしょ?だってアピールにならないもん。
繰り返し書くけど、行為そのものは批判の対象とはならないとは思うけど、その精神性はやっぱり疑わしいところがある。ていうか強者目線の上から目線なんだよね、きっと。
あ、あと松本さんは二代目金髪豚野郎ならぬ金髪糞野郎でいいかと思います。